日本の男子バレーボールが盛り上がっていますね!
次のパリ五輪に向けて、若手選手の活躍が連日注目されています。
この記事では、今まで優秀な成績を挙げ今後とても期待されている、宮浦健人選手についてお届けします。
- 宮浦健人選手のwikiプロフィール
- 宮浦健人選手の高校時代のバレー秘話
- 宮浦健人選手のバレーの戦績
上記の3つについて、詳しく紹介していきます。
目次
宮浦健人選手のwikiプロフィール
出典元:Youtube
名前:宮浦健人(みやうら けんと)
生年月日:1999年2月22日
年齢:22歳
身長:190cm
体重:86kg
出身地:熊本県荒尾市
最高到達点:340cm
ポジション:オポジット
宮浦健人選手がバレーボールを始めたきっかけは、ご両親とお兄さんがバレーをしていたからです。
母親のママさんバレーについて行ったり、兄が小学校のバレークラブにいたため体験練習をしているうちにバレーの楽しさを覚えました。
もともとスポーツが大好きだった、宮浦健人選手はバレーにのめり込んで行きました。
そんな宮浦健人選手の、高校時代のバレー秘話や、戦績について見ていきましょう。
宮浦健人選手の高校時代のバレー秘話
宮浦健人選手の出身高校は、熊本市にあるバレーの名門「鎮西高校」です。
高校3年間の中でのバレー秘話について紹介していきます。
高校時代のバレー秘話①:怪我
宮浦健人選手は高校1年生の時に、怪我に苦しみました。
その結果、腰椎分離症になり、チームからの離脱を余儀なくされてしまいました。
そのため1年生時代は、自分の思い通りのバレーができなく、とても辛い1年であったそうです。
高校時代のバレー秘話②:もう辞めたい?
高校2年生になりエースを任されましたが、自分の実力不足でチームに迷惑をかけることが多かったそうです。
伸び悩む時期が続き「もう辞めたい」と口に出して泣いてしまうほど追い込まれていました。
しかし、その悔しさをバネに練習に励み、2年時の春高では準優勝を勝ち取っています。
高校時代のバレー秘話③:熊本地震
しかしそんな矢先、熊本地震が発生しました。
体育館や校舎は損壊し練習が再開できたのは、発生から1か月経った頃でした。
他県まで体育館を借りたり、学校の運動場で作った『砂場のコート』で練習したりしたものの練習不足で、結果はいいものではありませんでした。
熊本に着きました。
昨日、鎮西高校バレー部を引退しました。
たくさんの方々の支えで内容の濃い3年間を過ごせたと思います!
本当にありがとうございました!
大学でもバレーを続けるので応援よろしくお願いします! pic.twitter.com/wDR0B42ZQj— 宮浦健人 (@miyaken_222) January 6, 2017
高校時代の3年間、宮浦健人選手にとってはとても濃い3年間だったと思います。
しかし、この時期にメンタル面でもかなり鍛えられ、今に繋がっているのではないでしょうか。
宮浦健人選手のバレーの戦績
宮浦健人選手の今までの試合の戦績が、とても優秀です!
高校時代からその活躍が、飛躍しています。
- U-18 全日本ユースアジア選手権 優勝・MVP
- U-18 全日本ユース世界選手権 3位
から始まり、大学に入ってからの大会の優勝回数の多さに驚きました!
2016年1月 | 第68回 春の高校バレー 準優勝 |
2017年12月 | 全日本バレーボール大学選手権大会 優勝 |
2018年12月 | 全日本バレーボール大学選手権大会 優勝 |
2019年12月 | 全日本バレーボール大学選手権大会 優勝 |
2020年12月 | 全日本バレーボール大学選手権大会 優勝 |
今後は五輪やアジア選手権などでも、どんどん活躍して戦績を増やして言って欲しいですね。
これから日本男子バレーを盛り上げる1人になること、間違い無いですね^^